聖徳太子は実在の人物か? |
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□聖徳太子( 574-622)の通説 |
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聖徳太子は「日本書紀」に詳細に記載されており、この記述をベースに現代の聖徳太子実在説は成り立っている。 |
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< 日本書紀巻第二十、推古天皇 崇峻6年(593)夏四月の項 > |
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「厩戸皇子を皇太子にお立てになって、政務を総裁させ、国政執行の権限をことごとくお任せになった。皇子は用明天皇の第二子で、母の皇后を穴穂部間人皇女と申し上げた。」
「皇子はお生まれになるともうことばをお話になり、聖人のような知恵をおもちであった。成人してからは。一度に十人の訴えを聞いて間違いがなくそれを判別し、これからおこることを前もってお知りになることもできた。 |
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□聖徳太子虚構説・・・大山誠一氏の事例 |
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「聖徳太子と日本人」大山誠一著 角川ソフィア文庫 初版平成17年4月25日 再版20年10月20日 |
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「聖徳太子と日本人」の概要は以下の通り |
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①虚構説の結論 |
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聖徳太子は実在の人物ではなく、養老4年(720)に編纂された【日本書紀】の中で創造された人物である。
厩戸王という一人の王族がいて、斑鳩宮に住み、斑鳩寺(法隆寺)を建立したのは事実だが、その厩戸王と偉大な聖人としての聖徳太子とは区別しなければならない。
憲法十七条を制定し、「三経義疏」を著したというのは事実ではなく、捏造されたもの |
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②誰が捏造したのか |
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藤原不比等、長屋王、道慈の三名である。 |
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③何故、「偉大な聖人としての聖徳太子」を創造する必要があったのか |
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日本が真に中国的な国家になるには、法や制度だけではいけない。その頂点にある天皇が中国皇帝のように、絶対的権威を備え、儒仏道三教の保護者として君臨せねばならない。現実はともかく、そういう国であることを示さねばならない。そのためには新しい歴史書の中に、モデルとしてあり得べき中国的聖天子像を描き日本には過去にそのような天皇がいたことにすればよい。
・・・・その結果、<聖徳太子>が誕生したのである。その<聖徳太子>の存在によって、日本が決して海東の未開の国ではないことを証明できる。そう考えたのであろう。 |
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④何故、厩戸王が「偉大な聖人としての聖徳太子」に選ばれたのか |
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日本書紀は歴史書であるから、全く架空の人物を創作することは困難だった(多くの親族や交友関係まで捏造することは不可能)。 従って実在の人物で、且つ、子孫や関係者が現存しない人物が必要であった。
これに当てはまるのが、厩戸王である。厩戸王の子孫は皇極2年(643)蘇我入鹿によって絶滅され、氏寺であり一族の拠点でもあった斑鳩寺(法隆寺)も天智9年(670)に落雷で全焼して跡形もなかったのである。 |
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